読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Yosshibox Blog

ポエム置き場

2015年がもうすぐ終わりを迎えようとしている。今年を振り返ると、まず死んでいった人の顔が思い浮かぶ。個人的な今年の漢字を決めるとしたら間違いなく「死」だ。 4月に祖父と友人が死んだ。昨年の引き続き親族の死と、つい死の直前まで話していた友人の死は人は死ぬんだなという当たり前の事実を再び私に突きつけた。国立科学博物館に行った時に類人猿から旧人、そして新人への進化についての展示を見たときに、数百万年、いやそれよりももっと長い時間をかけて、数え切れないほどの人間の祖先が生まれ、生き、死んでいったのだ。以前ならこういったことを考えると寒気がしたものだが、最近は何も感じなくなった。自分の中にある主観的なタイムスケールが壊れてしまったからなのかもしれない。

時間感覚だけではない。今年は私のなかで色々なものが壊れた。まず、大きなものとして音楽への情熱が長く失われていた期間が続いた。某共同制作のプロジェクトが終わった後私は疲れ果てていた。こんな虚構をいつまでも続けて一体どうするのだ、と。今でも未発表の曲を多くストックしているのであと1年くらいは活動し続けているかのように見せかけることはできるかもしれない。もっともここでそんな話を書いてしまったらそれもできないのだが。

音を細部まで作り込むだけの狂気を失ってしまった。どうやら系統立てて考えられる理性が戻ると音が作れなくなるらしい。

人を取り込んでしまうくらいの芸術作品というものは、往々にして細部まで作り込まれているものだ。私もそういったものをつくりたかった、いや作ってきたつもりだ。音を聴いたときの、感覚的な気持ち良さ、記憶を想起させられる時の快感、これまでと違った思想でつくられた音に触れた時の驚き。これらは作り込みなしには決してなし得ない。ところが、ある程度の段階まで来ると、細部を作り込むことを放棄したくなってしまう。膨大な数の、自分が今作った音へのタイムフィールや倍音構成などサウンドへのアサーションチェックがリアルタイムで走る。通常なら次々にそれらのテストをパスして次の工程に移れる。そのアサーションが「アサーティブ(断定的である様)」であれば良いのだが、いつの日か自己主張を失ってしまったのだ。言い換えると、音において何を価値とするのかというというところが壊れてしまった。そうなると、当然、頭の中で自分で作っている音をチェックしている部分もスタックする。狂いそうになりながら作業を途中で取りやめて数百KB記録された.cprファイルをディスクに放置する。

音にこそ絶対の価値を置いていた、音のコミュニケーションとしての側面に全く興味がない私のような作風の人間がこんな状態に陥ってしまったということは重大なアイデンティティの危機であり、実際にそれは崩壊した。かといってマーケットオリエンテッドな音を作ってツイッターやクラブでワイワイやるのも、小銭を稼ぐのも気乗りがしない。コンテンポラリアートのようになった、インターネット音楽のコンテクストゲームもソーシャルネットワークや現実で、信用を貸借りしてのし上がっていくパワーゲームにも芸能にも大して興味がない。数千人の前で音楽を演奏し、感情を共有するなんてことをやった日には脳神経が焼き切れてしまうだろう。別に嫌いではないのだけど。まな板の上の鯉ではなく、プラットフォームやメディアの上の鯉のような気分だ。本当はこのブログや@yoshiboxだって、自分の考えや印象を世界に広げるステートメントを発信してブランディングにつながるように運用したらいいんだと思う。で、結局のところそれができなかった。

そして、そこに、情報として記録された音源があっても、なくても、私にとってはもうどちらも大差ない。あえてシーケンスやオーディオとしてプログラミングしてミディアムに定着させる必要性って一体なんなのだろう?という心境に陥った。ルーズエンドなプロジェクトは残ったままで。希望を失い、健康状態はひどく悪化した。

そんな私の目の前にあったのが、魔法の箱だった。これまで、Cubaseを起動して、オーディオを書き出したり、ソーシャルメディアに大した情報量のないことを書き連ねるのに使っていた、一台のMacだ。

常々、現在のDAWDAWで扱っている音の構造化に関するパラダイムには不満があった。なぜ、シーケンスを再生する時間軸に加速度を設定できないのか。時間の歪みをズレとして表現しなくてはならないのか。なぜ周波数ベースではなく、General MIDI規格にそってつくられたシーケンス打ち込みを通してしかVSTiを操作できないのか。なぜ、倍音をベースとしたボイシングの支援機能がないのか、なぜGPGPUが使えないのか。なぜ、音楽の全てを計算機で扱える形で記述できないのか。

ここから先、こういった問題を解決していくには、日常使っている言葉よりももっとリジッドな言葉を使い、その問題をあぶり出し、解決策を記述するしかない。もはや国内の、小さな文化に構っている暇はないのかもしれない。しかし、それには工学、理学の精度が必要でそれがないとスタート地点にすら立てない。学ぶチャンスがあったのにそれを全部すっとばして音楽ばかりやっていたので、現状私はそれを使えない。信用もない。それがすごく、もどかしくて悔しい。もっと要領よくやることだって出来たはずだ、と。

目標があって、そこに到達するのに何が欠けているのかというのを書き出せれば、その目標は達成することができる。何も作れないところから、ここまでこれた。だが、その先にあるのはなんだ?数千万年単位でタイムスケールを縮めた時に、一体何が残る?生物としての生きてる間の幸せはどうなる?そこまで執着する覚悟は、私にはあるのだろうか。そう自問自答したところで答えはでない。古典的なフォーマットに乗っ取った音楽制作を続けるか、辞めるのか、といったことも同様だ。決まった答えなんてない。ぶれ続ける。

こうなったらもう興味があることをひたすら横に、縦に広げ、貪欲に学ぶしかない。身体、時間、経済などの制限要因の中でこれを十分な速さで回していくしかない。そうだとすると、絶望し、立ち止まっている暇はもうないのかもしれない。そうして、まずはWebプログラミングから始めて一定の成果をあげている。果たして、どれだけ頑張れるのか。

今年は良くも悪くもミュージシャンとしての呪縛が崩れたことによって、新しい可能性を探せるだけの準備ができたのかもしれない。来年の今頃には、今年の年末に予想もしていなかったような景色が見えていれば良いなと思う。

一方音楽についても、私が信頼しているミュージシャンや、多くのリスナーから、励ましの言葉をもらう。無理に進退に結論を出さず、一時的なスランプだとポジティブに、細々とやるのが良いのかもしれない。音楽やアーティストといったものはライフスタイルであって続けるとかやめるとか、そういったものではないしね。

ポジティブな未来像もネガティブな未来像も、不確定な未来を不完全な情報から人間の脳内で描きだしてる、現実に比べたらはるかに低精度の妄想のようなものだ。どちらもおなじように意味がない。だったら、ポジティブな未来像で自己洗脳して生命を燃やし尽くす生き方をする方が、私の人生への態度にはしっくりくるかもしれない。ルーズエンドなものを少しづつ回収しつつ、自分や他人の悲観的な意見には耳を貸さず、次につなげていければよい。死んでいったものが見れなかった明日を生きれるのは、生きているものたちの特権だ。こうしたことは、死んでいった者達や志半ばにして諦めていった者達への供養や慰めにもなるだろうと信じる。タロットカードの逆位置の死は再起を意味するらしい。秒速30万kmで時間軸を未来に向かい強制移動させられている。未来における到達地点を少しでも変えたければ、行動を起こし、素早く実行し、自分の心象風景にある心が作り出した「もっともらしい現実」を破壊していくしかない。

12月の日記

基本情報技術者試験に合格した

基本情報技術者試験に合格した体験記を語ったブログを見つけて、 興味が出たので参考書を買ってはみたものの三日坊主になっていたのだけれど、書店で見かけた基本情報技術者試験の実施要項を見つけて改めてとりあえず勉強へのモチベーションを上げるために申し込むだけ申し込んでみるかと思ったのが受験のきっかけ。

h-sby.hateblo.jp

しかしながら、何かと9月以降バタバタしてしまって勉強する時間は十分に確保できなかったのだが先日成績照会してみたところ、見事合格しておりました。「何かの冗談では・・・。」と最初は半信半疑だったもののIPAから合格証書が届いたことで、嫌でも自分のメンタルモデルと世界とのズレを認識し、現実を直視しないといけなくなった。国家資格だよこれ、どうするの。官報にも受験番号が載るみたいですね。資格の有無にかかわらず、これから継続して学習を頑張らないといけないことには違いないのだけど、今後、不安になったりしたときに資格があるということは、大きな心の支えになると思います。

勉強した内容

栢木先生の猫本

本当に、これだけしかやっていません。過去問も然り。 あとは、ひたすらJavaScriptPHPを書いていた。

28年度版を貼っておきますが、私がやったのは27年度版です。猫が可愛いのでいいと思います。

近況

成り行きで、Webフロントエンドからサーバーサイドに至るまでほぼWeb未経験と言って差し支えないような人が作ることになってしまったので、しかも客先に納品するようなサービスで!いいのかこんな実績もないようなやつが作ってとか思いつつ、これも何かの機会だろうと思って一から頑張ってみた。

PHPの方は公式マニュアルとQiita、Stackoverflowあたりを見つつ、クラスや関数、データ型、配列、オブジェクトあたりをさらいつつとにかくぶっつけでコードを書く、ひたすら書く。ぐちゃぐちゃでもいいからとりあえず書く、動かす、そしてエラーが出るというのを繰り返して、プロトタイプのようなものを作り続けて学んだ。それはもうかなり泥臭いものだった。

PHP: PHP マニュアル - Manual

JavaScriptの方はNyolfen先生に1年位前に勧めてもらったJavaScriptの本をもう一回読み直して、こちらもまた書いて、動かして、やっぱりエラーが出てググりまくるというかなり泥臭いプロセスを経てどうにかスタートラインに立てた気がする。(泥臭い試行錯誤と反復練習ならミュージシャンに任せろ!)

JavaScript本格入門 ?モダンスタイルによる基礎からAjax・jQueryまで

JavaScript本格入門 ?モダンスタイルによる基礎からAjax・jQueryまで

ちなみにその本はこれ。

もっとも、中学生の頃にBASICでゲームを作った程度の経験はある。といっても玉が1つ、バーが2つのすごく原始的な二人対戦型ホッケーくらいしかまともに作った覚えがないのだが。。そういった「ほぼ」経験しかない人がモダンなプログラミング言語、それこそC++のスタイルに影響を受けたであろうPHP, JavaScriptなどを学んでいる途中でまずぶつかったのがオブジェクト指向というパラダイム。要するに手続き型言語にしか触れてなかった人がメソッドとプロパティ、継承などの新しく触れるツリー構造を目の当たりにした時に、「何がなんだか・・・わからない・・・。」となっていた。

まずそれまで、データを加工する時は変数(メモリー)に保存されているデータを読みだして、それを関数という一連の手続きによって操作して、メモリーに描き戻すといった程度のことしかわからなかったのだが、「オブジェクト指向はすべての変数がオブジェクトであり、すべての関数がオブジェクトである」などと言い出すのである。全く訳がわからない。「それって、メモリーのどこにあるの?アドレスは?だいたいオブジェクトってなんなんだ!」とフラストレーションが溜まる一方だった。オブジェクト指向というパラダイムは共有しているはずなので、あえて説明しませんが・・・みたいなスタンスの記事がインターネットには溢れている。そりゃそうだ、日常的に日本語を使っている人に「空気とはなにか、キャラとはなにか」というような話はしないと思う。しかし、私はさしずめ音楽リゾーム国からやってきた外国人のようなもので、まさにツリー構造が支配する世界のパラダイムのを空気を読んで理解しろ、などというのはさしずめ雲をつかむようなものだった。「グルーヴってなんなんだ!」って思った時に似ている。あるいは、旧石器人が空飛ぶ鉄の塊を見た時の心境だろう。音楽の学習過程における、ギターのFコードが押さえられなくて挫折する人が多いというネタに例えられるかもしれない。

この時オブジェクト指向を理解するのに手がかりになった本がこれだ。

プログラミングの世界、知の共有をちゃんとやろうとしてくれる人が多いのは本当に助かる。 ミュージシャンは大抵が秘密主義者なので、すごい音を出す方法を見つけた時にどうするかというと大抵は秘匿するのだ。気持ちはわかるけどオープンにした方がいいよね・・・最初にすごいを音を出した人に信用が帰って来にくいコミュニティだから仕方がないのかもしれないけれど。

一方、プログラミングについて学びたければ、本を読み、マニュアルを読み、StackOverflowだかQiitaを読み、SliderShareを読み、そして手を動かせばいいのだ。これでもってあとはPDCAサイクルを回せばいい。インターネットはまさに宝の山だ。

本の話に戻りたいと思うが、この本はプログラミング言語の歴史立てて説明してくれている。なるほどこれなら私にもわかる。思想はこうやって進歩してきたのだというコンピュータの50年を学ぶことができた。オブジェクト指向の有用性も理解できた。

こうして、一つづつわからないことを「わかる!」に変えていき、ついに初めてのWebアプリケーションと言えるかもしれないものを作った。PHPAPIを書き、XMLからデータを拾い、フロントエンド側からのAjax通信を受けてデータを渡し、データをもらったフロントエンドはJavaScriptjQueryを使いDOM操作をし、Canvasを描画する。Ruby on RailsのようなWAFやReact.js, Angular.jsのようなフレームワークを駆使した2015年のWeb最前線からしてみたら、かなり原始的な事だが、それでも動いたのである。

その後、無事に納品されて私の手を離れた後も、現在も稼働しているようである。

そのときの経験を生かして、yosshibox.comもリニューアルしてみた。

yosshibox.com

さて、引き続きぶり返してはおさまり、というのを繰り返しながらも鬱が快方に向かっている。 本格的に鬱になった17歳の時、系統立てた思考、手続き的な思考が鬱になる前ほどできなくなり、理系への進学を諦めなければならなかったのだが、物事をあまり分解せずにイメージ、リゾームをそのまま扱うような能力は引き続き残っていた。そうして、その中でこれまでリゾーム的な思考で、音を操作していたのだ。一応音楽理論をおさえてはいるのだが、そのツールを使って分析的に処理するより、無意識下で動いてるサービスのような感覚に投げてしまった方が早くて正確な答えが返ってくるのでそちらをよく使ってしまうのであまり習熟してるとは言い難い。一方感覚と言葉の対応表みたいなものは持っているので、言葉にする時はそういった語彙を使うことができる。これまでそういう頭の使い方しかしてこなかった、いやできなかった。 ツリー的な、ロゴス的な話題を扱う場合は一旦リゾーム的に変換してあげないと処理できなかった。

しかしながら、鬱が治り、ツリー的な、プログラミングの思考パラダイムを一通りさらったことで、極めてツリー的な思考が優位に来るようになってきてしまった。同時に語彙に意味と表記のリジッドでユニークな対応を求めるようになってしまった。周りにいるプログラマーは随分些細な表現にこだわるな・・・と常々思っていたのだが表記がちょっとでもずれたらシンタックスエラーな世界なので、こういう背景があるのかもしれない。大文字と小文字を取り違えただけで違うものとして扱われてしまうことも多々ある。言葉やそれを取り巻くルールやパラダイムが変わると見えてるものが変わってしまうのは仕方がない。

一方で、音が思うように作れなくなってしまった。感情的な話よりもルールやロジックを取り扱う部分が優位にくるようになってしまったのも一つの要因だろうと思う。ミックスダウンしたり、音色を作ったりすることはできる。でもなぜか、最初の1音をどこに置くか、ということがどうしても決定できない。アレンジも、以前であれば意識下に完成系が見えていたのだけれど、まったく思いつかない。音楽を作る能力が精神的不調の副産物、バグのようなものだったとしたら?・・・そんな理由ごときで音を作ることを諦めたりはしない。

キャラクタービジネスと集客ビジネスによる信用をトークンとしたやりとりがインターネット、現実世界を問わず繰り広げられているのを横目に私は一体どこに行こうとしているのか、まったくわからないし、そういう世界に身を置いている人からみたら私が何をやってるのかさっぱりわからないだろうと思う。(あるいはこういうことを書くことによってキャラクターを作り上げる、そういうところに回収されていくのかもしれない。)

www.youtube.com

それでも、こんなものを見てしまったら私はCubaseGUI越しにしか音を操作できなかった世界にはもう戻れない。 学ぶべきことは、おそらく尽きないし課題は多いだろう。とても、小さな一歩なのかもしれないが、私にとってはGiant Stepsの始まりであることを願いたい。

本当にやることが沢山あるのだけれど、それらを全て繋げられたときに出てくるとんでもない音を私は早く聴きたいです。 あと意外と、音楽を取り巻く環境を変えられるようなアプリケーション、Webアプリケーションなども作ってしまった方が 私がよいと思う音が沢山作られ、拡散していく環境を作るためにはよいのかもしれません。

あと、何かに熱中してれば私はなんでもいいんだなというのがわかったのもここ数ヶ月の発見でした。人生の幸福度が高い。

音楽の話

Tennysonの新曲がやばすぎるのでみんな聴いて tennyson.bandcamp.com

久しぶりに音で頭をぶん殴られた気がします。すごいよ!本当に!!もう! (殴られた衝撃で語彙がなくなってしまい、すごいとしか言えなくなった人の様子です。)

soundcloud.com

最近あげた'Inventions And Cuties'という新曲です。ボーカルに、Sound Horizonのサポートメンバーとしても活躍中の、結良まりさんが参加しています。未聴の方は是非。

私に残された創造的持ち時間の残りで、一体どこまで行けるんでしょうか。 「音を絶対ここに置かないといけない」という強い動機があまりない人間なので、思った以上に流されがちなのですが イミテーションを繰り返して、フレームワークを考案したりして、思考を整理したりして いったいどこまでのことができるんだろうかということは、もう自分にしかわからないので引き続き取り組んでいこうと思います。 "Move fast and break things."という気持ちで頑張るぞい。

そのほか最近読んだオススメの本

Amazonの本ばっかり貼りすぎてアフィリエイトブログみたいになってるけど、やっぱり知は共有した方がよいので貼ります。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

インタフェースデザインの本だと思われがちですが、一歩引いた目線で物と人間の関係性(アフォーダンスと呼ぶそうです)を細かに説明している本です。UIに限らず、人に影響をもたらす物を作っている人、もちろんミュージシャンにも大いに参考になることでしょう。

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

コードを書くときのノームや前提知識みたいなものは共有しておいた方がよいと思う人におすすめ。 ちゃんと実践するのはまだ私には難しいです。

なぜ、ここに音を置いたのか。あるいは置かなかったのか。

ご無沙汰してます。ソーシャルメディア類で情報を発信するのに疲れてしばらく放置してましたが、最近運用を再開し、とりあえず生きてます。すっかり寒くなりましたね。

幸いなことに最近素晴らしいライブアクトを2組も見ることができました。 先週MOGRAで行われたJack vs Maltineで観たMaxoと、今日浅草で見たKero Kero Bonitoです。 音に情熱を傾けて、可能性を信じて音を伝えようとしている人のショーを見に行きこんなにも元気になれるのだなと思えるほど、2組とも心を揺さぶられるものがありました。 年を重ねるごとにやりたい自己表現なんてものはだんだんと少なくなってくるのですが、また少しだけ情熱を取り戻せた気がします。

音をいくら分析的に見れても、その1音をそこにどうして置こうと思ったのかという過程はなかなか作るときに再現できないのです。 出音のリッチさやエモーショナルなものを追求するのもよいですが、なぜ、ここに音を置いたのか、あるいは置かなかったのか、といった思考の過程が見れる音楽が私は好きです。 それが積み重ねってできた奇跡のような楽曲が空間に満たされてるなんて、そりゃあちょっと頭のネジが飛んでしまうくらい吹き飛ばされるというものです。

今年の夏くらいからですか、これまた成り行きでやっている仕事柄どのようにコンピュータに指示を与えてどのようにして問題を解決をするのかといったことを考えることが多いのですが、そういったときに解決するべきものは何かというのを念頭に置いて必要な機能を洗い出していきます。あとはそれをコンピュータが解釈できる形でどのようにして構造や手続きで記述してあげるか。世間ではそれをプログラミングと言うそうなんですが、そうしたことを多くしているうちに、そのスコープが現実にまで広がり合理性で解決できないものなんて無いといった落とし穴に落ちてしまうのです。

一方で、音楽というものにはそもそも解決するべき問題はないので、そのようなイシューからスタートした考え方をすると行き詰まります。 クライアントワークではお金を払ってもらえる要件を満たすべき音を作るというイシューがあるので少し事情が異なります。 また、どのようなフィールドのコンテキストに乗せていくかということを考える音楽制作もありますが、ここで話題にしているのは、プライベートなアート作品のことです。

「なぜ、ここに音を置いたのか。あるいは置かなかったのか。」 スランプになると、ここがまずわからなくなります。わからなくなると人間、必死に考え出すものです。 自分は何を求められているのか、どのように見えているのか、手持ちのリソースでなにができるのか、何と何を組み合わせたらこの状況を打開できるのか。

大抵、こうした思考を巡らせても答えは出ません。付け焼刃で情報収集をしても、やはりすぐにはどうにもなりません。では、どうするか。 心がこうしたいと思う方向をはっきりと指し示すまで、騒がず待つしかないのです。 解決の糸口を他人のアドバイスに求めてはいけません。ノームを参考にしたり投げ出してしまうのもあまりいい解決方法とは言えませんね。

もちろん待ちの一手だけではなく、それを少し手助けしてあげる方法はあります。信念を持つことです。ノーム(社会常識、空気)や怠惰、偽物の客観的視点に打ち勝てるのは、自分にとっての地図を持つこと以外にないのです。法を犯さず、他人への迷惑が最小であれば多少偏っていても構いません。気に入らない現実は捻じ曲げてしまいましょう。嘘をついているわけではなく、物事を見つめる視点や立場を変えてみるということです。

例えば、暗いニュースをあなたが見たとします。それを元に「ああ、これだけ暗いニュースがあるのだから、明日はもっと悪い世界になるだろう」 といった、一見すると客観的にも思える世界観を持ったとします。しかし、世界を正確に予測できるだけの情報がそういった情報源にはあるんでしょうか。 バイアスはかかってませんか?一方で、頭の予測制度はどうでしょう。信頼できるものですか? 不正確な情報を元に脳が作り出す否定的な世界観が作り出すのは、本当に否定的な未来かもしれません。で、自分にとって一体それに何の意味があるのでしょうか。。

答えは自ずと明らかなのですが、人生はどうやらポジティブにならざるを得ない仕組みになっているようです。 というわけでまず手始めに、あんまり明るい未来っぽい情報をはてなブックマークホットエントリーをLiveDwango Readerから外しました。(一応、オチてます) だらだらとテレビを見るかのように記事を読む時間が減ったら勉強に回せるようになったよ。(やったねタエちゃん)

年齢を重ねるごとに、ノームや体力の衰え、その他社会的制約、制限要因によって思考が歪められていくのだろうなというのを日々感じているので、 そうした風化させようとしてくる物に対していかに抗えるかというのが生きるということの本質のような気がします。

あとはお手軽なショック療法として、良いものに触れるということです。良さそうなイベントに行き3,000円程度払うとあなたにも簡単に試すことができます。(そして、お酒が飲める人はビールを飲みます。私はジンジャエールですが。) 「これを解決するためには他の問題を解決しないといけない。その問題を解決するためにはまたさらに他の問題を解決しなければいけない。うーん、どうしたものか。。」 といったように、思考が絡まった糸のようなデッドロックになってると、ストレスはたまる上に物事も前に進みません。そうしたときは他の人が作ったものすごいもので頭を揺らしてしまうのもありです。「なんだ、答えはそれでよかったの!?」っていう気づきの連続でインスピレーションや解決の糸口を見つけることができるかもしれません。 そういった意味で、ここ1月の私は、MaxoとKero Kero Bonitoに救われました。

そうして、信念の話に立ち返ると、私はなぜ音楽を作っているのかというと、音楽の深淵をちょっと覗いてみたいからであり、そこに到達するためには不要な、ビジネスというフレームで音を考えるということをできるだけ捨て去り、空き時間でプライベートな音作りを引き続きしてはいるのですが、この先はDAWで自己表現してるだけでは到達できない部分のようなので、制限要因をどうにかしつつ、どうしたもんだかなあと考える日々です。中途半端になってしまっている、プロジェクトだったり、活動だったりに一旦区切りをつけたら、次は一体、自分をどちらの方向に投げようかと考えることはとても楽しいものです。

一方で、「ヨシノの音には他のインターネットミュージシャンに負けなスタイルがあるからもっと頑張れよ!」「次、ライブいつやるの?えっ、やらないの?」 といったような嬉しい話を聞くこともちらほらあるので、このまま手放してしまうのもなんだか勿体ないですよね。 戦略的に芸能をビジネスとしてやる気には健康リスクが高すぎて全然なれないけれども、適度にソーシャライズしてサンクラに音を上げ続ける、といったことくらいしかできないのですが その過程で面白い音が生まれてしまったら、やはりちゃんと届くべき人に届けてあげないといけない、そういった責任が作っている本人にはあるのだなと感じています。もし、誰かの心を揺らすことができて、誰かの苦しみをすこしでもなんとかすることができたら、それは素敵なことじゃないですか。

というわけで、ライブセット出演オファーは随時お待ちしております。 (表に出るのはすごく大変なんですけれどもね。)

あるいは猫になりたい

今日はポエムを書きます。もしかしたら私はインターネットの先端で曲を発表しながらその思想を見ようとか、気づこうとしてないなかったのかもしれない。
大量複製して曲を消費する時代はとうに終わっていたにもかかわらず、ジャック・アタリの言うところのポスト複製(作曲)の時代の訪れに気づいていなかったのかもしれませんが、なんだかようやく目が覚めた気がします。これまでと同じ時間の割き方で続けるの辛い、って。

ミュージシャンは無料で音楽を配信できるツールを手にしたわけで、それをどう使ったら曲を拡散できるかとかそういったことを考えないといけないわけですが、やっぱりSNSだとか人のつながりだとかに全く興味がわかないどころかむしろ疲れるし、最近はろくすっぽ更新すらしなくなってしまいました。人と関わるのが面倒くさくなるのって症状なのか、怠慢なのかはたまた・・・。なんだかよくわかりませんが、メールを返すのすら異常に忌避してしまい、ドロップアウト寸前のところまで行きました。まずいまずい。少しずつ戻りつつあります。一体いつまで繰り返すんだこれを!Norm的に納得のいく説明などおそらくしようがないので、梅雨と猛暑による夏バテってことにしておきましょう。なんてキャッチーなんだ。


複製の時代の亡霊たちにとりつかれたくはないので、資本的自立というところを今後は重視していきたいと思います。私こそがYoshino Yoshikawaを所有していて、Yoshino Yoshikawaの一番のリスナーでありたい。しかし、なんかもう自分が作り出す音をもっと聴きたいとか、半ば狂気じみた執着だったり期待だったりといったものがすっかりなくなってしまって、毒が抜けたように生きています。みじめじゃないとクリエイティブで居られない、ってそりゃあどうなのよ!声を上げたってどうせ届きやしないといったような無力感に思想が乗っ取られてからいくらか時間が立ち、もはや自明のように感じられます。要するに主観的には自分が作り出す音が面白く感じられない。これは症状なのか、事実なのか、はたまたそうではないのか。さっさと終わらせたいとさえ思う。取り巻く環境がよくわからない。空に向かって声をあげてもなにもかえってこないのでコミュニケーションの実感がわかない。というか伝えようとしていないのだから当たり前だな。

今年の2月くらいに作った、最近アップロードした新曲をお聴きください。面白いとか面白く無いとかフィードバックください。そうしたらいくらか正気でいられるかも。
トラックを無料でダウンロードできる仕掛けも用意したので、興味のある人はやってみてください。いい音だとおもったらお金ではなくあなたの信用をすこしください。そうしたらいくらか正気でいられるかも。


情報に満ち溢れたこの世の中、ホットでもスマートでもなく、かつ声をあげないものにそう優しくはない。ホットでもスマートでもないならなおさら厳しい。しかし、人間向き不向きというものがあるでしょう。SNSでおもしろおかしくやりとりするだなんて私にはできませんよ。はたまたプライベートを切り売りしたり、など。未来予測がなんか間違ってるのでなんかわかりやすい成功体験がほしいなあ。そのためにできることはただ、精進あるだけなのかもしれない。C'est la vie!、もしくはLife sucks.

思想書を読んだり、技術書を読んだり、あんまり得意ではない小説を読んだりしてますが、とにかく活字に触れる機会が増えました。記号をデコードし続けることで得られる3次元+時空的な視点はやみつきになりますが、狂気への入り口なような気もしています。ろくでもない未来予測はあんまり美味しくなさそうです。しかし、得られる情報をひたすらふるいにかけ続けて、残った価値あるものだけを集める作業をし続けるしかない。


最近、読んだ本でも貼っておく。

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

インタフェースデザインの心理学 ―ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針

インタフェースデザインの心理学 ―ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針

グラモフォン・フィルム・タイプライター

グラモフォン・フィルム・タイプライター

シャノンの情報理論入門 (ブルーバックス)

シャノンの情報理論入門 (ブルーバックス)

思想っぽい本が多い。まるで文芸学んでる学生のようなラインナップ。

虹の彼方に (講談社文芸文庫)

虹の彼方に (講談社文芸文庫)

キュンミーおすすめの一冊。


音楽はもうだいたいやりきったので医者か研究者かエンジニアか、あるいは猫になりたい。たぶん、医者とか言い出したのはドクターハウスの見過ぎだと思う。いや、でも24見ていた時は別に特別テロユニットの隊員になりたいとか思わなかったのにな。やだよ、あんな暴力的なの。人生で医者になりたいとか世迷い言を言い出した時はあともう1回あって、高校生の時に進路提出しないといけなくて、やりたいことなど特になかったので医学部行きたいとか言い出した、いやあれはもしかすると環境に言わされていたのかもしれない。その直後に学校行かなくなった、それが1回目。で、今回のが2回目。多分本気でなりたいとか思ってない。
最近やっと読めたデザインするテクノロジーの前半がやたらFRINGEとLOST推しだったので観たくなってきてしまったではないか。しかも、J・J・エイブラムスですよ。全部みないといけない義務感ようなものに駆られています。ハウスもシーズン7の終わりまで差し掛かってきて、シリアスな医療ドラマから振った腫れたのソープドラマみたいになりつつあるしそろそろ食傷気味です。英語リスニング能力が心なしか上がってきた気がしますがどうなんでしょう。FEの勉強全然出来てません。現実はいつだって待ったなし。どうにかするぞ。


ちなみにデザインするテクノロジーは今更読みましたがとても面白いのでおすすめします。ジェネラティブであるとはどういうことか。

デザインするテクノロジー 情報加速社会が挑発する創造性

デザインするテクノロジー 情報加速社会が挑発する創造性

あるいは猫か、幸せになりたい。

基本情報技術者

基本情報技術者試験でも受けてみようかなと思いたったが吉日、参考書を手にいれる。
このエントリを参考にしました。

h-sby.hateblo.jp


イラストの猫がかわいいので良いですね。論理演算とか半加算器とかでさっそくコケてますがこんなところでくじけてはいけない。学習計画は建てたので頑張りたい気持ち。一体何になろうって言うんだ。人生がよくわかりません。だいたい行き当たりばったりです。プログラミングの資質はおそらく無い自覚はあるけど、最近脳が以前より回るようになってきたので再チャレンジ。


散々先送りにしてきたけど、ミュージシャンですらプログラミングで問題解決がでいないといけない時代はすぐそこにきている。というかもう今日がそれ。あと出来たほうが人生絶対楽しいにちがいない。


随分前にatnrさんに教えてもらった本、絶対に挫折しないそうなのでこちらも読みはじめた。

絶対に挫折しない iPhoneアプリ開発「超」入門【Swift & iOS8.1以降 完全対応】

絶対に挫折しない iPhoneアプリ開発「超」入門【Swift & iOS8.1以降 完全対応】

 


YosemiteXcode入れてとりあえず本に従ってカメラアプリ作れましたがここからが本当の沼の始まり。。ゴゴゴ。NSStringとかのNSってNeXTSTEPの名残なんですってね。(そんな話はどこにも書いていないのだが)

レジェンドたちがたくさん高速道路を張り巡らせているのですが、利用方法を覚えるのがとても大変で、半年たったら仕組みが変わってるって感じです。Webサービスひとつ作るのにHTML, CSS, JS, Ruby, Rails, DBの知識が最低必要で、ネイティブアプリ作ろうと思ったらSwiftとかJavaが必要、でほとんど文献が英語。私みたいな情報弱者にとってはハードすぎるよ。友人に本職な人がそれなりにいるのでいつでも聞けるのがただただ強みです。本当にこういう仕組みを考えて、実装している人たちはただただ偉大。畏怖の念。

今は座学的な話も、コーディングスキルも全部中途半端で、なーんにも作れないのですが、点が繋がって線になったときにまたとない光になるでしょう。夢があるなあ。邦楽には夢がない。


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

先日ミームの話をしたので、読了。ドーキンズの一般向けの本。数式なし。
自己複製子(遺伝子)を乗せた生存機械であるわれわれ生物。彼ら遺伝子を後世に残すべく様々な行動が無意識的に制御されているけれども、人間はそれに唯一意識的に立ち向かえる存在だといった内容です。ミームを乗せて。ミームが乗ってれば生存機械自体は人口知能でもいいじゃん、などと思ってしまいます。

音楽を生存機械、生物のアナロジーとしてとらえると面白いですね。広まって増えて淘汰されてを繰り返してよりコピーされたものが生き残る。ミーム競争とか面倒なんで慎ましく生きたいですが。人は、GeneかMeme、何かを残したいんだね。


メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論クラシックス。メディアはマッサージではなくメッセージです。文字は目の拡張、車輪は足の拡張。ホットとコールドなメディア。インターネットの出現の予言。言葉の羅列なので私以外が読んでも全く意味がわからないと思います。読書メモは読んだ直後に書かないとダメだ思い出せない。日記なので許して。


意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論


意識はいつ生まれるのか。それは情報が統合された時。
それを、フォトトランジスタのアレイのアナロジーで説明している例が印象的。個々のフォトトランジスタは他のトランジスタの状態を取得できない。だから意識は生まれない。人は忘れっぽいので読書日記は読んだらすぐに書こうなんて話はどこにも書いていない。


活字にしばらく触れてなかったので、文字から情報が得られる事にブロードバンドインターネットが初めて家に来た時並みに興奮しているのですが、本を読んでも、以外と他人に説明するのは難しいものですね。心の理論がよくわからないので、情報を持っていない人にとっては説明がぶっ飛びすぎなんだそうです。他人が何を思っているか考えながら話すのは難しい。活字との付き合い方を模索する時期。

とかやってたら休日が終わりました。エエーッ。

読んで書いて、また読む

あるきっかけで、ある曲をコピーしようと2時間くらい耳コピしていました。2000年代当時としては大変憧れていた楽曲だけに、あっさりコピー完了してしまい拍子抜けしつつも、おそらく作者が考えていたであろうことの軌跡が明確な言葉を聞くように流れ込んできて、これこそ音楽にそれなりの時間を割いてやった人にのみ与えられる特権でありご褒美なのだな、とちょっと嬉しくなるわけです。泥まみれになって得たことは確かにあった。

年を重ねるごとに、新しいことに取り組むたびに、どうにか泥まみれにならずにうまいことエッセンスだけ回収できないかなんて小賢しい考えが頭を過っては、壁にぶつかる。その度に「君は砂場に突っ込んでいって泥まみれになる勇気はあるのか?」と問いかけられている気分がするものだ。泥まみれになっている様は側からみていたらそれは無様であるが、やはりそれなしに砂のお城は作れない。

モダンな統合開発環境にあるコードをちょっと試し書きして実行できる場所のことを「Playground」(遊び場)というのは、まさに言い得て妙だと思うと同時に、「泥んこになって頑張れよ」という先人たちのメッセージのようにも感じられる。魅せ方なんてまだ知らない泥まみれの子供達の瞳はとても輝いているように、好奇心で突っ走れるうちはまだ大丈夫だろうと思う。泥まみれになろう。

雲と雲の間を突き抜けて
誰も見た ことの ない場所へ
ありふれた スピードを超えて 
もうすぐ 変わるよ世界が

[Perfume: コンピューターシティ]

世界が変わった話といえば、この1年、頑張って本を読むようにしていたのですが、音から得られる情報と同じくらい豊かな世界なのだなと今更知りました。というか普通の人にとって耳から目から入ってくる記号以外の情報なんて大したことないように思えるんだろうな。衝撃的だ。圧倒的なスケールメリット。よく、言葉を専門に扱う人が言葉以外の現実をみて、言葉で書き表せない情報が眠ってる感動した!って書いているのことの補数。



ところで、情報を探すときあるある話、Yoshino Yoshikawa的マーフィーの法則的なのをまとめてみる。


1.検索エンジンから得られる情報はノイズまみれ
アフィリと2chまとめとNaverまとめか、意識高いライフハックblogしかないゴミだらけの世界、広告だらけの不毛の地。シャノンが泣いてるかもしれない。iOSSafariAdBlockを標準搭載するって話はさっさとやって欲しい。しかし、広告ビジネスが崩壊すると今あるインターネット企業ほとんどが死ぬのでは。。それで受ける損失と、綺麗な情報が手に入るメリットどっちがいいんでしょうね、って考えると損失の方が大きい気がするのでやむなしか。

従って現状だと結局本になってるとか、課金が必要であるとか、ちょっとしたハードルを設けてある発信手段からの情報の方が欲しいものが手に入りやすい気がする。水と安全と情報はタダじゃない世界を生き抜こう。


2.プラットフォームにあつまる情報は吸い出しにくい
閉じてるwebにある情報は取りに行くのが大変。SoundCloudとか。水先案内が欲しい。頑張れ、グノシーみたいなインターネットの会社!


3.得がたい情報ほど高い
技術書、哲学書、専門書は高くて、時間潰しっぽい雑な本は安い。
なんで軒並み5000円以上するの。。プラグインかよ!
エンドレスにamazon課金して本を読み続けられる老後にはやくなってくれ。

ただ、質のいい小説が文庫で安く買えるのは驚異的だと思います。


4.コンピュータ技術情報は比較的載ってる
「ただし英語ができない奴はダメな!」っていうストロングな姿勢でくる。ヒイ!


5.情報は統合できたときに何かアイディアが生まれる
「いわゆる点と点が線になって〜・・・」的なお話。情報が統合できるからこそ意識なのかもね。



まとめ
・情報はタダじゃない
・泥まみれになって探すか金を払おう
・人生はクソゲー

さあ今週も、多読、多読。

ソースをあたることの重要性と炎上

こんにちは。芳川です。好きなソースはおたふくソースです。
さて、巷で話題になった東京大学の平成26年度 教養学部学位記伝達式の式辞をまずお読みいただきたいと思います。

皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 - 総合情報 - 総合情報

誰しもがインターネットSNS経由で情報を発信できるようになった現代、意図せずこうした伝言ゲームに加担してしまうことがあるので、私たちもインターネットで情報を発信する際は背筋を正してソースと向き合って検証したのちに書き込んでいきたいものです。

さて、昨日私は2つのツイートをしました。



スペインで誰もやっていないのに日本で続いているとは音楽ミームとしては優秀だし、面白いよねといった程度の話だったのですが、結果、日本でマキナをやっている人たちの間で下記のようなちょっとした騒動になります。DJ DEPATH氏といえば、日本でのマキナ仕掛け人とも言える人です。上記のツイートがそれなりにRTされた結果、氏の目に留まることになったようです。


私の問題点としては、伝聞で聞いただけの余興ベースの話をソースを確認せずツイートしていたことです。ツイッターとは元来そんなものだとは思いつつも、情報を読み解いていくということは重要なので、実際に今回やってみることにします。



スペイン語版Wikipediaをあたってみました。
Mákina - Wikipedia, la enciclopedia libre

1次ソースではないのですが、非スペイン語話者としては頼れるものではあります。
1999年〜2001年の商業的成功、2003年から2005年のNew Twistと呼ばれる期間を経て、2006年と2007年にXqueとKontrol Mataroという二つのブランドが終了し、シーンが冷え込んだといった内容が見て取れます。

同時期、2008年に世界金融危機に端を発する不動産バブルの崩壊がスペイン経済危機につながっていきます。

2008–15 Spanish financial crisis - Wikipedia, the free encyclopedia

ドラッグとの関連性はこれらの記事からはわかりませんが、スペイン経済危機と2大ブランドの終了がシーンに与えた影響というのは少なくなかったのでしょう。


その後、日本のマキナ専門家とも言えるNadecoさんと電話で話す機会があり、せっかくなので現状のMakinaについてインタビューしてみました。


オールドスクールレイブカルチャーの延長線上でスペイン全国に広まり、レコード3枚をつかったりするなどの特徴的なDJミックスのスタイルがマキナと呼ばれていたそうなのですが、そういった手法をつかって作られる音楽そのものがマキナと呼ばれるようになったなど、個人的に興味深い話も聞けたので良かったのですが、これまた伝聞のみでソースを当たらずにツイートをしてしまったことを反省しなくてはいけません。

そこで、スペイン語版Wikipediaを紐解いてみました。

X Que? Olot cerró sus puertas en Marzo del 2011. Poco tiempo después, se hicieron fiestas mensualmente en la antigua sala Blau situada en Gerona.
Un comunicado lanzado a través de Facebook por la dirección de la discoteca X-Que afirma que el 29 de Octubre del 2011 vuelve a abrir sus puertas a las sesiones de Sábado noche (esta vez en Barcelona).
El 29 de octubre se inaugura la discoteca carpa del Xque de Santa Perpetua de Mogoda (Barcelona). El día 18 de Febrero del año 2012 cierra sus puertas definitivamente.

意訳

X Que オロットは2011年5月に閉店した。その後、ジローナにあるかつてのBlau roomで毎月パーティーが開催された。
Facebook上で発表されたX-Queの経営者による声明によると2011年10月29日バルセロナ時間の土曜夜パーティーとしてスタートした。
10月29日Xqueサンタ・ペルペツア・デ・モゴダ (バルセロナ)が発足。2012年2月18日、閉店。

機械翻訳で英語にしたあと、翻訳してみましたがこのように書いてありました。この記事によりますと、Blau roomという場所でXque(ファルケ、と読む)の後続パーティーが2012年2月18日までサンタ・ペルペツア・デ・モゴダで行われていたようです。2012年以降、何があったのか調べようにも西語ができないので私自身がこれ以上調べられないのと、Web oficialと書かれたリンク先がドメイン失効したのか謎の中国語の企業のページになっておりこれ以上追えないのが残念です。Internet Archieで調べたところ、2009年2月29日のキャプチャまでは公式ページがあったようなのですが、その後ドメインが失効したのかサーバー会社のエラー画面が表示されたのち、中国企業に再度ドメインを取得されたようです。

Internet Archive : xque
web xque


2012年以降、一体何が起こっているのでしょうか。。

ちなみに、フランス語版WikipediaにXqueについての記事がありました。
Xque — Wikipédia

Xqueというのは1992年ににオープンした箱の名前だったようです。その後Xque Recordsというレーベルを持つに至るようなのですが、2007年の15周年パーティーの時にレジテントDJとクラブ経営者との内ゲバによって閉店することになります。閉店パーティーには1万人が訪れたようです。
2010年9月25日にオロットに場所を移し、再始動したようです。


Xque - Viquipèdia, l'enciclopèdia lliure
オトロのXqueは2011年に地元圧力により閉店、サンタ・ペルペツア・デ・モゴダ に移転、その後バルセロナのサンセローニに移転したようです。

機械翻訳で読むのはかなりつらいです。まだ、サンセローニにあるんでしょうか?それは箱なんでしょうか、パーティーの名前なんでしょうか・・・。


日本でマキナをやっている人やマキナという音楽には、残念ながらあまり個人的に興味がないのですが、特に水を差すつもりもないです。なので、今こうなっているというタレコミは不要なのですが、一次ソースをあたるのってとっても大変、というお話でした。興味がある人は各自で調べてみてください。

第二外国語を扱えない私のような人[要出典]にとって、日本語と英語以外の情報をあたることはとても困難です。どのような分野でもファンとしては「オワコンだ!」[要出典]などと言われたら「そんなことはない!」と言いたくなるのが人情ではありますが、ファクトベースで物事を見つめるということの重要性を再確認した次第[要出典]です。しかし、検索すれども出てこない・・・。


おはよう!

f:id:yosshibox:20150615142420j:plain

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)