Yoshino Yoshikawa Blog

「芳川よしの」についての最新情報を書きます!

最近のニュースと、おすすめ音楽のお話

インタビューを受けた

昨日、とあるインタビューを受けたのでしっかりろくろを回して陶芸してきました。技術面は語らないとか言ってたのに、結構そっちがメインになってしまってました。4月末頃公開されるようなのでどうぞお楽しみに!

"Yumetatsu Glider EP、"iTunes Storeでの配信開始

Yumetatsu Glider - EP、昨日iTunes Storeでもリリースされました!

Yumetatsu Glider - EP

Yumetatsu Glider - EP

  • 芳川よしの
  • Electronic
  • ¥600

ランキングで1位目指すような方向性ではないのですが、現在、エレクトロニックチャートで18位のようです。すごい、沢山の人に買っていただいて感謝。まだお持ちでない方、是非手元に置いていただけると嬉しいです。私も買いました。

最近iTunes Storeが便利すぎてiTunes Storeでしか音楽を買わないです。iTunes in the cloudが無い世界なんて考えられない…。

The Japan Timesさんに紹介していただきました

ところで、Yumetatsu Glider - EPのリリースを、英字新聞The Japan Timesさんに取り上げて頂きました。

Yoshino Yoshikawa "Yumetatsu Glider" | The Japan Times

各楽曲レビューして頂いています。記事を書いた方は、Make Believe Melodiesという音楽ブログをやっているPATRICK ST. MICHEL氏です。

http://makebelievemelodies.com/

東京のプロデューサー、芳川よしの(Yoshino Yoshikawa)は彼の楽曲の事をしばしば"Ultrapop"と説明しているが、昨今それがしっくりくるようになってきた。
これまで芳川は、中田ヤスタカの型で作ったかのような、せわしなく、騒がしい曲をつくっていた。"Kawaii Candy"という名前のように、芳川の作品には、色とりどりのシンセサイザーの詰め寄せと、デジタルで加工されたボーカルがのっている。彼はまだこのような表現においてトップであるが、近年彼の音楽は変貌を遂げつつある。

英語圏の人に、ここまで長く芳川よしののサウンドを追って頂いて、さらに記事にして頂けることに感激です。

最近のおすすめ音楽

Clean Bandit - Rather Be feat. Jess Glynne
最近のおすすめ音楽。芳川の音が好きな人なら気に入ってくれると思う。
シンプルだけど、無駄が無くて美しいです。夏リリースのアルバムがただただ待ち遠しい。


これも最高。テクスチャがとにかく美しい。ビートも最高。それでいい、それがいい。


最近アルバムが出ててたので買ってみました、SOHN。
ただただ美しいテクスチャとビートの世界に包まれる。

今後の展開など、思っていること

こうみてみると、私が1年くらい前に"Ultrapop"コンセプトを思いついてから、存在を予見していた音が1年前という同時期に普通に作られてて、ヨーロッパのポピュラーミュージックの幅の広さを感じる。ユートピアなのか。


Ultrapopコンセプトを適用した2作品「Yoshino Yoshikawa - Yumetatsu Glider EP」と「ラブリーサマーちゃんと芳川よしの - はじめまして」(リリースの都合上、タグはJ-popとなってますが、Ultrapopコンセプトの適用下にあります。)をリリースしてみて、この方向性はいったん区切りがついたので、Ultrapopというブランドは続けつつ、またすこし違った方向性にシフトしていこうかと考えています。


まだ聴いていない方は是非。


詳しくはインタビューで!

メロディを聴く人、リズムを聴く人

ちょっと今日は、いつもよりテック、思想寄りなお話。

先日、感傷ベクトルという漫画と音楽の「ハイブリッド・ロック・サークル」を標榜するバンド主催の
「深海と空と“星”の駅」というライブイベントに行ってきた。

深海と空と“星”の駅

共演に、fhána, ピロカルピン
ファナの面々とは面識があり、たまに遊んだりもします。(最近はそんなに会ってなかったのでご無沙汰、ではあったのですが) 今回はそこきっかけで。本当に、大変素晴らしいショーでした。エモい話はTwitterに書いてあるのでそちらをチェックで!


クラブ系のパーティーにはしばしば行ったり出演したりするので、いつも通りといた感じで入場して早速バーカウンターに行きドリンクチケットをお酒と引きかえてもらい、演奏が始まるとともに、リズムセクションのグルーヴに合わせて頭を振って踊っていた。

が、ここで異変に気づく:
他のお客さんが誰も踊っていない。


踊っていたとしても、200人は超えるであろうライブハウスの中で10人にも満たない。
ということは、ビートを媒介としたコミュニケーションは行われていないのだろうか…。
しかし、演奏が悪いわけでは無い。しっかりビートミュージックでもよく使うタイムフィールでミュージシャンは話していた。


もし、ビートで踊ってないと言うことはお客さんにとっての価値で無いとするならば、リズムセクションの奏者は伝わるか伝わらないかわからないコミュニケーションを虚空に向けて放ち続けていることになる。だとするなら、あまりにもそれは空しい。


ポピュラーミュージックは、感情のコミュニケーションが成立すればそれとしてきちんと成立する。ビートに依存しなくても、他の部分で共有がなされていればそれでOK。たとえばボーカルのアーティキュレーションから感じられるニュアンスや体調等、演奏している人達の感情を知る手段はタイムフィール以外にもある。


私は以前、アーティキュレーションでやりとりされる感情というものが全くわからなかったので、自分でP席に座りボーカルディレクションをしてみたり、他のプロデューサーのボーカルディレクションを見学させてもらったりして記号を回収していった経緯があるので、音で行われるコミュニケーションに対して意識的なのだけれど、多くの人にとってこれは無意識下で処理される情報だと思う。ただ、無意識とはいえ、確実に共有されている。


という事もあり、

踊ってない、すなわち、ビートがお客さんにとっての価値で無い
とするのは早計だと思う。ダンスだけがビートに対するインタラクションの方法ではない。右手に拳をつくり、大きく挙げてみたり、MC中に酔った勢いでヤジを飛ばす(音楽ではないかもしれないが)というのも、もちろん"あり"だ。


単純に、ビートへのインタラクションとして"頭をゆらして踊る"という選択肢がないのかもしれない。
ただ、体をゆらしたり、足踏みをしてみたりといった自然発生的な動きもあまり見られず、私の目には、お客さんが演奏に直立不動で「聴き入っている」ようにみえた。もしかしたら、ビートへの優先順位が低く、和声やメロディ、あるいはテクスチャなどのビート以外の音を聴いているのかもしれない。


私自身、どちらかというと、外国語として"邦ロックミュージック / Jpop"、第二外国語として"ビートミュージック"を習得した人間なので、音が様々な"話し言葉"の多重放送に聞こえているのだと思うが、私がそれら外国語を知らなかった頃(おそらくクラシック音楽の曲しか分からなかったとき)、多分同じようにビートは意識に登らず、ギターのディストーション音はノイズ / 非楽音 として頭で無視されていたので、踊ることなく、メロディーに聴き入っていたのではないかと思う。


これら外国語のフレームワークを理解した後に、昔聴いていて長いこと聴いていなかった曲を再び聴いてみると驚くほど聞こえ方が違う。昔拾えていなかった記号をどんどん認識して、回収できる。それはとっても楽しいことだ。


とはいえ、当時回収できなかったそれらの音の要素が、音楽としての全体のエクスペリエンスに影響を与えていなかったのかと言えば、そうではないと信じたい。人間は五感で微細な差を区別できる能力を持っている、どんな人であってもだ。だから私はテクスチャに埋もれてしまって見えない部分でも適当なフレーズで誤魔化したりしないで、見えないところまでちゃんとやる。


途中で返しが聞こえにくくなったからなのか、タイムフィールの位置がずれてきてもなお、ライブハウスのスタッフを呼んで返しを上げてもらい、誰の無意識に届いているかもわからないタイムフィールでコミュニケーションをとり続けようとしたステージの上のドラマーと、ステージの上で楽器を取り、マイクを取り、サンプラーを持ち、思いを伝えようとする奏者の勇気に敬意を。私はちゃんとより多くの思いを拾いました、ちゃんと伝わってるんですよ、ってことを伝えたい。

気持ちが伝わらないっていう状況が一番きらいなので、そんな世界を変えたい。伝えることを諦めたらダメ。ああもう、コミュニケーションの何もかもがうまくいかないんだよほんと!


BGMがすっと消えた。ああ、もう転換時間終わってしまうのか。またこんなことを考えてたら時間が経ってたし…今、ひょっとして私、外界からのコミュニケーションに対するインタラクション、すっ飛ばしてました!?誰かに話しかけられたりした気もするのだけれど。ぼーっとしているようにみえるんだろうなあ。


もっと、社交しよう。引きこもるのは治療的じゃ無い。

とっくに春でした

もうすぐ春…いや、とっくに春でした。
花見シーズンはとうの昔に過ぎ去り、おそらく葉桜になりつつある頃でしょう。推量になっているのは今週に入ってからまだ"観測"していないからです。他にも、暖房を入れたままにしておくと、エネルギーの均衡が崩れて室温は何処まででも上がっていく、という皮膚感覚からも春の陽気を感じられます。(どうか、ネクラとかって言わないでくださいね)


Figure 1: Yoshino Yoshikawa、5月出演予定のイベントフライヤー

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http://tokyo-0505.cs8.biz/

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2.5D X ZOOM LENS: PARADICE | Facebook


遙か遠くにあるかのように思われた、ゴールデンウィークラスト、5/5こどもの日に行われるであろうマルチネの"東京"というパーティーの開催もあと1ヶ月を切っており、去年1年間の制作の集大成とも言える"Yumetatsu Glider EP"のZOOM LENSからのリリースと、ラブリーサマーちゃんとの共作EP「はじめまして」のMaltine Recordsからのリリースも、もう既に現在を通り過ぎて過去の出来事になりつつある事に、私自身時の流れの早さというものにただただ驚くばかりです。


最近の私の音を聴いてない方は是非。



Yumetatsu Glider EPの方は、4/16からiTunesでの配信も始まるので、是非チェックしてください!
https://itunes.apple.com/jp/album/yumetatsu-glider-ep/id853006314?l=en

予約注文もできます!


自分自身も変わり、社会も変わり、思想も変わった数年後にまた聴き直していただいたときに、また新たな発見をもたらしてくれる音でありますように。届くべき人に、ちゃんんととどきますように。そのために、アップルのサーバーにアーカイブとして保存しておきます。iTunes in the cloudはどこまでも、あなたのiPhoneにゆめたつグライダーを。


例によって、この2作、語りたいことは沢山あるんですが、今回はあえてこのブログでは黙っておこうかとおもいます。沈黙は美徳というわけではありませんが、小手先の技術話でどうこう言えることはこれまで散々書いてきた上に、今回はなぜその技法を使ったのかという方にこのブログを欠かさずチェックして頂いているリスナー諸賢の皆様にフォーカスをあてて欲しいので。もし、少ないながらもヒントを申し上げるとするならば、「想いと愛」についてです。


感情を、理想的な設計と、適切な実装で変調してあげれば、きっと気持ちは届きます。5年前に標榜したクラブミュージックとポピュラーミュージックの着地点としてのサウンドを追求する、なんていうことはもうとうに過去の話で、手段に過ぎなかったのです。音楽好きも、そうで無い人も。ロックが好きな人もベースミュージックが好きな人も。ハートで聴いても、そうでなくても。日本に住んでいても、そうでなくても。聴いてくれた人がちょっと愉快な気持ちになってくれて、友達や仲間とのコミュニケーションのきっかけになるような、量子化されたL/Rの箱庭に閉じ込められた音空間を提供できたら、作者としてこんなに嬉しいことはありません。



私自身の春ですか?特に浮ついた話も無く、人生が大きく前に進みそうな話も今のところは無いです。ちゃんと思考できて体にもトラブルが無い、というのがなによりの幸せです。明日も続いてる保証はどこにもないですが。まあ、私のことはいいんですよ。

ムテキノヒトとゴーストライター

やることもないからとりあえず近況でも書こうかと思います。
ここ2ヶ月弱ほど1曲も書いてない。DAWには向かうものの何もおりてこない。だめかもしれない。
伝えたい感情なんて何も無いからなのかもしれない。

ミックスダウンやアレンジなどの技術的な事は出来るのだけど、作曲が全く出来ない。ゴーストライターでも雇いたいくらい。雇わないですけれど。

ZOOM LENSからのリリースも控えていて、他にもいろいろ面白そうな動きはあるし、いろいろ軌道に乗りそうな所なのになんでこのタイミングでまた体調不良来るかなあとか考え出すとろくでもないことになるので、車借りて山中湖まで旅行したり、雨の日に高尾山に登るなどしたら若干回復の兆しは見えてきた。…そしてDAWを開いたらやっぱりダメでした。3月一杯は休業しようとおもいます。


薬が悪さをしてるのかと思い薬全カットしてみたら心の防御力が一気に落ちて新宿駅前を歩いているだけで人の感情のダイナミクスにさらされて、吐き気がしただけでした。うーん、これも違う。医者と相談した上で転院して、次の薬を試します。鍵穴にブルートフォースアタックしてる気分。来週あたりに結果出ると思う。


これまでの人生ねじ曲がってもおかしくない出来事だらけではあったけど、出来るだけまっすぐに生きてきたつもり。「無敵の人」なんて話が最近話題になっているけど、私だって一歩間違えてたらそうなっていたかもしれない。たまたま音が作れたのでいろいろな人に知ってもらえて優しくしてもらえて、だからこそ友人知人やこれまでの恋人、出会いに恵まれたのだし、誠実であろうと出来ただけだと思う。ただただ、ラッキーだった。自分の弱さ故に誤解を招き、離れていった人たちもいる。
自分がこうなったのは自分の所為だし、自分が成功しても自分の所為って範囲で生きれたらと思う。
思いやりと愛、余裕にあふれた優しい世の中であって欲しいと願わずにはいられないです。


生きる事ってある意味、戦いなので、結局強くなる以外に生き延びる方法なんて無いんだなと。とりあえず最後までやりきろうと思う。まだ私は私を諦めていないし、進退も決定していないんだ。

サウンドスケープ

近頃音を聴いてるだけで楽しいです。つまり、環境音のことです。記号化できないところに何でも良いから記号をつけてぼんやり音が流れていくのを鑑賞してるの、最高です。
こういうのをサウンドスケープというのでしょうか。楽しんでいるところに楽音がいきなり割り込んできたりするとちょっとムッとしたりさえします。トーナリティに支配された音にはうんざりです。これじゃ商売あがったりなんですけど。


あえて作るとしたらビートと、アンビエンスを感じる曖昧な音だけでいいのかもしれない。
音がとにかく作れないんです。あー、もうなんかダメかもしれない。


風呂の給湯器ってお湯が沸いたりしたときに音で知らせるタイプの物が多いと思うのですが、それの通知音がM7の和音アルペジオだったりするとうげー、っとなる。無機質な通知音あたりが丁度良いと思う。美的感覚が無い音ばっかりでうんざりします。iPhoneの音は好きです。さすがアップル。


音の質感を変えるだけで体験はもっとリッチになるのに、ね。
自然の音は本当に豊かだと思う。音楽聴いてるより楽しい。


そもそも音楽って何だったっけ。
私にとっての音楽は、あなたにとっての音楽ではないのかもしれない。

あなたの信じるものはどんな音ですか

私の要約が入っていますが、先日の私のツイートから。

「日本人はデッドな環境で音を聴くので高次の整数倍音が好まれる。なので音響がハイを強調したシャリシャリした音が好まれる」って話読んで、ロック箱、アイドルのライブが高音シャリシャリなのが腑に落ちた。


ポピュラー音楽の社会経済学(著:高増明)という本を読んでいますが、これだけ広範囲に出来るだけバイアスのかからない状態で精度高くポピュラー音楽を分析しててとっても良いです。音楽をビジネスにしようとしているミュージシャン必読だと思います。シーンについて、私がここ5年くらいで気づいたり考えてた事が綺麗にまとまってる。沢山考えるより一冊の本だったりすることは多いので、時間は大事に使いましょう。

ポピュラー音楽の社会経済学

ポピュラー音楽の社会経済学


日本の音楽がなぜ世界に通用しないか、というのもよく分かります。あとロック50年史概説としてもとても優秀です。YouTubeなりSpotifyなりで聴きながらページをめくっても面白いです。大学の授業の教科書的に書かれた本なのかもしれませんが、書体と思想に色がついていないかあまりないのでさらっと読めます。


ところで、絶対にこの音が好きっていう主観に満ちた思想がなかったら音楽なんて作れないと思う。ピュアオーディオの人には信じる音がある。科学的妥当性が無くてもそれは大きな力なんです。それと同列に語るのもどうかと思うけど、ジャズを信じている人はジャズを信じている。ロックも然り。でも、私の信じている物がなんなのか、もうよく分からなくなってしまいました。


音楽が減算方式で作られているとしたら、引き出しから出てきた音は沢山の音はフィルタリングされて、実際に出ている音はその人の好きな音を反映するはず。でも、私の手から作られるのはいつだって白紙のプロジェクトファイル。無音、もしくは部屋にむなしく響く矩形波のクリック音。


J-POPかくあるべき、という常識を一番忌み嫌っているのに、音を作り出すと頭の中の補正プラグインみたいなものが邪魔をするんです。ただ自由に音を置きたいのに。そもそも、自由ってなんでしたっけ。ほんと作曲の才能無いと思う。(アレンジは得意です。)


とっても好きな人から、あなたの好きなものは、あなたの中にあるその"もの"の偶像なのでは?って疑問を投げかけられたあの日から私はすこしおかしな事になってしまった。


音を加工することは多分まだ出来る。ずっと仕組みを見続けてきたから。それで、その能力が誰かを幸せにするならまだ使いたいと思う。


でも最初の、元になる音は紡げない。伝えたい感情なんてもの、もうとうに無くなってしまったんです。ぼくは人間として欠陥品だ。出来ることなら、普通になりたい。


鬱とかそういうのではないです。頭はとっても冴えてます。悲観もしてないです。
でも、ただ漠然とした不安を感じる。
目の前に映る問いに、寸分の曖昧さも許さなかったからなのかもしれない。


こういうときは寝るに限るし、おやすみなさい。

天才と凡人の違い

まずここから。居るんですよ、天才って。あなたが認めようと認めまいと。
世界を世界のまま理解するとでもいうか、限られた情報を吸収してそこから無意識的に構造を理解して全体を把握できてしまうタイプの人間です。要するに時間あたりの情報処理能力がめっちゃ早いか、記憶力と類似性、規則性を見つけるのが高いタイプの人間か、はたまたその両方です。一言で言うとたぶんIQ高いんだと思う。

…っていう長ったらしい説明を日常のコミュニケーションで使うのは面倒なので"才能"って一言で言ってしまうので事の全容が見えにくくなります。そうして嫉妬が生まれます。面倒くさいですね。


前にもTwitterかなにかで書いたかもしれませんが、何かの格言の改変バージョンです。出典はわすれました。ごめんなさい。

@yosshibox : まず金槌を手に入れて、音が全部釘に見えて「世界は全部釘だった!」って言い出して、次にドライバーを手に入れて「世界は全部ネジだった!」…ってのを延々と繰り返してる横で「世界はよくわかんないけど世界だよね」っていって凄いの作ってく人がいる。それが天才。

こうみてみると、凡人って"ビジョンの見えない人"っていう言い方がしっくりくる。ビジョンが見えない人は、世界を出来るだけ高い解像度で観ようとするために道具をいっぱい持つんです。状況に合わせてそれをとにかく使い分ける。それをとてつもない早さで処理すれば"才能"に見えるはずです。理性的、言語、記号処理的な部分が関わってるはず。(仮説、というより妄想、そして私の流儀でもある)


一方、天才は"ビジョンが見えて"しまう。道具は不要です。言語外の雰囲気で処理しちゃいます。そしてしかもとてつもなく高速処理できたりする。凡人の私からするとずるいです。これもおそらく才能に見えます。

なーんだ、これでいくと、天才と凡人って単純に、記号処理の連続として物事を理解するか、イメージとして処理してしまうかの違いかのように思えます。


では次に双方の人が、継続的な学習をしなかった例を仮定して考えてみましょう。


凡人が継続的な学習をしなかったら、火を見るより明らかですが何も成すことは出来ないと思います。頑張って道具を集めて地道に理解していくしかない、ある日すべてが見通せる瞬間が来ることを信じて。一方天才が継続的な学習をしなかったら。少ない情報量から規則性を見いだせてしまう彼らですが、情報ゼロだったら先に進めません。そして、末端の実装にはやはり反復練習やトレーニングが必要なのでこちらも大成しません。


なるほど、どちらも互角っぽいです。あとはスピードの問題。限られた時間やリソースをどれだけ一つのことに集中するか。単位時間あたりの処理能力と時間を乗算した物で才能は計れそうです。
ではその未知数の才能を得るために、単位時間あたりの処理能力の高い人は短時間でそれを達成できますから、あっという間に成し遂げたかのように見えます。一方、単位時間あたりの処理能力の低い人は、それが高い人に比べてより多くの時間を割かないといけません。

うーん、この辺もフェアですね。


単位時間あたりの情報処理能力を上げる方法は存在するのか?脳の病気や、障害を負った人以外には私は、あると思います。脳の筋トレをすればいいんです。現状よりちょっと難しい、今は出来ないことを
次々にチャレンジしていけば脳は強くなります。この辺ただの経験談です。


/* …個人的な話をすると、私の場合、新しいことを覚えるということがストレスなので、負荷をかけると頭がクラッシュします。動作不良を起こしてメンヘラになります。オワコンです。治療が必要。しかし治療法が無い!詰んでる! */


病気やケガの無い方、おめでとうございます!あなたは既に才能の入り口にいます。天才でない人も時間はかかるかもしれませんが学習によって才能をゲットできる可能性があります。

まとめ

凡人と天才は居る。それと才能は別!
かかる時間の差こそあれ、凡人も才能を得ることは出来る!
凡人は、凡人なんだから天才をねたんでる暇があったら学習して才能をゲットだ!

凡人の私は学習しようとおもいます。

ではでは